大阪わらじの会50周年記念パーティ開催!

       式典の模様。
 
 
 11月23~24日、大阪わらじの会50周年記念パーティが、生駒山麓公園で開催されました。わらじのOB、現役会員のみならず、他会からの参加者も数名おられ、合計36名の方にお越し頂きました。皆様のお蔭で、大変印象深い記念パーティになったかと思います。参加して頂いた皆様、この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。
 
 まず、14時からの式典。段取りが悪く、30分ほど開催が遅れてしまったのは、申し訳なく思っております。しかし、三代目代表の茂木さん、四代目代表の吉岡さんから貴重なお話を頂き、非常に興味深く耳を傾けました。なお、式典は、次のような式次第で行われました。
 
 
開式             司会        吉田雅憲
式辞             三代目代表    茂木完治
式辞             四代目代表    吉岡 章
式辞             わらじの会現役会員およびOB参加者 有志による「大阪
                わらじの会」
「最近の登攀について」  長谷川真由美  
 
 
 さて、式典後は、野外センターに場所を移して、懇親会が行われました。バーベQに鍋料理を皆様で突きながら、消灯の22時まで沢談義に華が咲きました。なお、OBの故・岩野和彦氏の奥様から榛原牛の差し入れを頂き、皆様で美味しく頂くことができました。
 
 翌朝、昨夜の余韻を残しながらながら7時過ぎに朝食。10時には早々解散となり、50周年記念パーティを無事に終えることができました。
 
 あっという間に過ぎた二日間でしたが、遥々お越し頂いた皆様のお蔭て、本当に記念的なパーティになったかと思います。改めて、有難うございました!
 
 
          懇親会にて。

50周年記念いよいよ

 大阪わらじの会50周年記念パーティが、いよいよこの週末に迫りました。OB、現会員含めて約30名の参加表明を頂きました。どうも有難うございます!!
 
 14:00~16:00に行われる式典のみの参加も可能なので、参加表明されていない方も、足を運んで頂ければ幸いです。
 
 案内状にも書いていますが、11月23日(土)に、生駒山麓公園のふれあいセンター内の研修室で、14:00から式典を開催致します。
 なお、16:00頃から懇親会を野外活動センターで行います。鍋やBQなどをご用意しております。懇親会参加の方には、照明が少ないので、ヘッドランプなどの明かりを持参して頂ければと思います。
 
 半世紀という歴史を刻む大阪わらじの会を皆さんで振り返る、思い出深い時間にしていきたいと思います。

50周年記念パーティ参加者の皆様へ

 大阪わらじの会50周年記念パーティ参加される皆様、参加表明どうも有難うございます。
準備の方も着々と進んでおり、きっと印象的なパーティになるかと思われます。まだ参加表明されていない方も、まだ参加可能なので、50周年という大きな区切りを、わらじにかかわって来た皆様と祝っていこうではありませんか!
 
 さて、式典後、16:00から予定されている懇親会ですが、会場となる野外センターは明かりはあるものの、それだけでは暗いようなので、参加される方はキャップライトなどの照明器具をご用意された方がいいかと思います。
 
 また、参加される現役会員の皆様には、常設テントでその晩は宿泊して頂くことになっており、シュラフの用意をお願いします。これらの装備の用意を案内状に記載していなかったので、こちらで告知させて頂くことになりました。

 

溯行6~10号

○溯行6号(1971)
 
目次
古典渓谷
台高山脈 中奥川 滝の谷、高橋谷、向流谷、戸倉谷右俣、ヒメマツ谷、タイモチヤ谷、
             口枌谷─奥枌谷、半左衛門谷
       本沢川 大須保谷
       北股川 アサマタ谷
       大和谷 ロクロ谷
       東の川 セビ谷、西の滝、東の滝、
       銚子川 清五郎滝
       備後川 池の宿谷一の谷、平谷、ナル谷、大谷・右俣下降、大谷・左俣、瀬戸小屋谷、
            真砂谷、池の宿谷下降、本流、長瀬谷、傾城谷
大峰山脈 上多古川 野の平谷、伊坪谷・一の谷、伊坪谷、上谷・核心部、矢納谷、本流─竹林院谷、
       白川又川 十郎谷
       芦の瀬川 本流
南紀山塊 大塔山 黒蔵谷─高山谷、黒蔵谷、高山谷、黒蔵谷について
奥高野・川原桶川 本流、赤谷
ある渓観の見聞
中アルプス・東ノ川 北沢
北アルプス 高瀬川 川九里谷・右俣(奥の左俣)
        黒部 棒小屋沢
南アルプス 聖沢 日影沢
越後・駒ヶ岳周辺 北ノ又川 滝ノハナ沢、芝沢・右俣、
頸城・不動川 本流
越美・荒島岳周辺 残雪期 𣘺架谷、残雪期 荒島岳・一の谷、𣘺架谷、荒島岳・一の谷
奥美濃・板取川 川浦谷
屋久島 鯛の川、宮の浦川
雑感
一九七〇年山行一覧
編集後記
 
昭和四十六年四月一日発行

 
○溯行7号(1972)
 
目次
巻頭言
遭難を考える
大峰・台高山脈 
 山葵谷・地獄谷、小普賢谷、一の谷(仮称)、二の谷(仮称)、四の谷(仮称)、覗谷左俣、覗谷右俣
 上多古川・大栃谷、勝負塚ルンゼ、茶屋(今宿谷)
 川迫川・小壺谷、白倉谷(板小屋谷)、同(水晶谷)、モジキ谷、バリゴヤ谷
 舟ノ川・大谷
 旭ノ川・瀬戸谷・一の谷(仮称)、同・二の谷(仮称)、同・三の谷(仮称)、同・本流
 天ガ瀬川・水太谷
 北股川・カマ谷、ビシャクラ谷
 大杉谷・千尋谷
 銚子川・黒滝
南紀山塊・奥高野山塊
 大塔川・大杉谷
      笹ノ瀬川・南谷
      本流
      十九良(九十九)谷─長谷
      中小屋谷
 前ノ川━古座川
 安川源流
 和田川・奥山谷
 黒蔵谷
 川原桶川・タイ谷
その他の山域
 南ア・野呂川シレイ沢(冬期)
 北ア・高瀬川中東沢左俣
 北ア・小滝川西俣沢
 頸城・不動川(三度目・四度目)
 頸城・鉾ヶ岳・滝ノ内沢(中退)
 白山・蛇谷・親谷
 奥越経ヶ岳・女神川
 奥越荒島岳・鬼谷本谷─荒島谷川
         地獄谷(左俣)
 四国・銅山川・肉淵谷
         大木谷右俣
         大木谷左俣
         保土野谷
 四国・那賀川・海川谷─大谷
雑篇
 北アルプスで(焚火のできぬ山)
 増水記録(東北朝日・金目川)
 一九七一年山行一覧
編集後記
 
昭和四十七年七月一日発行
 

 ○溯行8号(1973)
 
目次
巻頭言
近畿地方
 果無山脈東部 
  八木尾谷左俣
   〃    右俣
  雲母谷
  橋ノ谷
  馬目谷
  公門谷
 子ノ泊山周辺
  立間戸谷
  相野谷
  天瀬谷
  カンカケ谷─ハヤシ谷
 大台(東ノ川・往古川) 
  岩屋谷
  千尋滝
  八町滝
 大峰山脈および東高野山塊 
   ワサビ谷無名の支流
  大鷲谷
  クワズ谷─ホソ谷
  二沢谷
 湖北の谷
  合田谷
  八大寺谷右俣
遭難を考える
 九州・中国地方
  祖母、傾、大崩山塊
  川上本谷
  うるしわ谷
  うら谷─黒金山谷
  山手本谷
 屋久島の谷
  小楊枝川
  黒味川(七五谷)
 伯耆大山
  甲川(下ノ廊下)
新たなる沢歩きに向かつて
東日本
 頸城地方の渓谷
   不動川(下ノ廊下)
     〃 (上ノ廊下)
   メボソ沢─シバクラ沢
   ホドソ沢
   ヨシオ沢─アブキ谷(右俣)
   鉾ヶ岳西南稜
 加賀白山・越中鍬崎山・奥越荒島岳の谷
   親谷・姥ヶ滝
   瓢箪谷
   大畠谷(大笠谷) ─開津谷
   カラ杉谷
   大谷
   大迫間戸谷
   極楽谷
  中部山岳
   太田切川駒石沢─東川本谷
   東沢一ノ沢
   野口沢
  甲州笛吹川
   釜ノ沢
   金山沢
  越美国境残雪期縦走
  一九七三年山行一覧
編集後記
    
昭和四十八年七月一日発行
 

 
 
 

大峰・四ノ川本流溯行

 

【日程】  9月15~17日(予定では15~16日だったが、1日ビバークしてしまう)。
【場所】  大峰 北山川・四ノ川本流
【メンバー】  シブ&コージ(わらじ登り屋)
 
 
四ノ川は大峰・笠捨山に源を発し、瀞峡で名の知れた北山川に注ぎ込む渓谷で、その渓谷が食い入る笠捨山北東面は、岩壁がそそり立ち、悪絶な渓相をなしている。北山地方で、「一に池郷、二に前鬼、三に白川又、四は四ノ川」と、詠われた名川の一つだ。
 
 当会では川崎実氏に初溯行されて以来、OBの中庄谷氏らや吉岡氏らによる溯行の記録が見られるが、隣の立合川ほど今は有名ではないせいか、あまり訪れる沢屋も少ないようだ。
 
 
 

 
ゴルジュ入口。
 
「じょうだんじゃない、少しは面白くなるなんていったのは誰だ。スドンと切り立った両岸は紺碧の淵を間に挟み、トラバースの余裕すらも与えてくれてはいない。」
 
 『溯行』5号、川崎実氏の記録より。
 
 
 
しかし、泳いで行けは突破は容易い。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 魚止めの滝。
 
 
 
 泳いで左側を直登するが、頭に出るトラバースが微妙だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 右岸から20m滝を掛ける二又に掛かる15m滝。
 
 
 
 結局、直登は諦め左岸を巻く。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 美しい函淵。
 
 
 
 
 
 右岸が容易に巻けるが、泳がないと勿体ない!!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

    
 
 
 
 美しいナメ肌。
 
 
 
白い岩盤の美しいナメが多い。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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四ノ川の貴婦人。
 
 
 
クワズ谷から分かれて、本谷にしばらく入ると出会う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その上に続くナメ。
 
この辺り、どこまでも美しい。
 
 しかし、見上げると、両岸には不穏な壁が・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
              四ノ川の盟主50mの大滝。
              大ゴルジュ最奥に待ち受ける。
 
 
 
 
              四ノ川フィナーレ30m滝。
              しかし、ここからが長い・・・。
 
 
 下部ゴルジュは釜と淵が連続し、それらを水泳とクライミングで突破してくことができる。中流部は河原が出てくるが、その間には泳ぎや直登を避けては面倒なゴルジュが現れ、小滝の突破もボルダー力が要求される。

 
 その一方で、クワズ谷出合から開始する後半部は、忍耐のいる大高巻きの連続となる。大きなが要塞のように幾重にも立ち塞がり、それらの地形を根気よく読み解く。そして、ようやく到着した大峰主稜。ここからの下山も考えものだ。
 
  谷沿いには林道が伸び、平成になって幾つもの堰堤が敷設された為に、往時の景観を損ねてしまっているが、それでもなお、四ノ川本流は大峰でも指折りの秀渓であることには変わりがなかった。
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「会結成趣意書」(『溯行』1号から)

 さて、大阪わらじの会は、沢登り専門の山岳会として、昭和38年9月24日に結成されました。
 
 「ハイキング」でも、「岩登り」でもなく、「沢登り」を専門とする、ということには、どういう意味があったのか?単に、率直に、「沢が好き!」ということでいいのかもしれません。
 
 しかし、登高手段として“沢登り”を主眼に置くということに、いささか封建的な考えなのかもしれませんが、次のような動機づけが、会結成当初にはなされていたということを、わらじの会員たちは、心の片隅にでも留めていてもいいのではないのでしょうか?
 

 
  会結成趣意書
 
 登山を口にするとき人は大なり小なりアルプス的なものを意図し、その意識の程度において自ら颯爽たるハイカーや一般登山者と区別することに内心のプライドを満足させている。その最も著しいものは彼のマンメリズム信奉者達であり、自らをクラッグス・マンと呼ぶ人々であるが、われわれはマンメリー、バウアー、メルクル等の表面的な行為よりもむしろそのボヘミアン的な孤高さとワンダラーとしての性格を高く評価するものである。
 
 次にまたわれわれは同じ登高精神に基づく行為であっても登山のあり方はその行動しうる範囲の山の性格によって変化するものと考える。より高い山、最高の山が岳人の憧れの対象であろうともわれわれ「街の登山者の」現実の対象は日本の山それも二、三日以内に行動しうる山々でしかない。
 
 雪線を抜く標高と高燥な気候の下にあるヨーロッパ、アルプスでは登山は即ち岩登りであり、コーカサスやザアライ地方の山々にあっても渓谷や沢は単なるアプローチでしかないもの山の構造上当然のことである。しかし、日本の山は世界有数の多雨のために山体は深く浸食されて例外なく鋭い沢が頂稜近くまで食い入っている。このような山に対しては沢歩き最も本質的且つ自由な登高の方法となるのも当然の成り行きと云えよう。
 
 以上の意味においてわれわれは確信をもって日本本来の、固有の且つ最適の登行手段は谷歩きにあると断定し、ここに大阪わらじの会を結成するものである。
 
  昭和三十八年九月二十四日
 
                               発起人代表                  近藤亨
 

 
*マンメリズム=ママリズム

『溯行』から「会の歩み」(『溯行』3号から)

 今、私は、大阪わらじの会50周年記念に向けて、『溯行』を読み進む作業をしています。
 
 四、五十年前に書かれた文章ですが、『溯行』には、色々と考えさせられる先人たちの言葉が残されています。ここでは、目に留まった先人たちの言葉を色々と引用されてもらおうかと思ってます。
 
 まず、『溯行3号』(昭和43年発行)から、「会の歩み」という益田正章さんの巻頭文です。
 
 現在日本において、純粋な意味での“パイオニアワーク”が果たして可能かどうかは疑問です。しかし、別の方面から光を当てることによって、その渓谷を新たな姿で甦らせることができるのではないかと、先人たちの足跡を辿りながら考えています。
 


 
会の歩み                                                 益田正章
 
 当会が設立され五年を経た今日、「溯行」第三号発行に当たって今一度、会の歩みを振り返り将来への礎とするのも一つの方法であろうと思う。
 当、大阪わらじの会は昭和三十八年に創立し、数名の会員で第一歩を踏み出した。当時の目的は、台高山脈の秀ヶ岳を中心とする渓谷と奥美濃の渓谷を主に地域調査を兼ねて入谷することであった。が、奥美濃の方は担当者が高齢でありまた入谷するには数日をようするため参加者も少なくなり、二・三の者が細々とその命脈を続けていた状態であった。昭和四十年に十数名の同行者の入会があり、この時期を境として積極的に地域調査の形をとるに至った。それ医が毎年数名の入会者があり、現在二十数名に至っている。
 一方、地域調査の面からとりあげてみると、最初の三年は秀ヶ岳を中心として、四年目は宮川の支流、父ヶ谷、大和谷、吉野川の支流中奥川全域、五年目は宮川の全支流、吉野川の支流北股川全域、六年目の予定は櫛田川全域で一応台高山脈の渓谷を中心とした地域調査を完了する予定である。
 これで当会設立した当初の目的を全うすることになるが、もし、この目的が達成すると、どこの山岳会でも果しえなかった優れた業績として、日本山岳史上に一つのエポックを劃すことになるといっても過言ではないだろう。人々はあんなじじむさい山というだろうが、なるほど表面上は穂高や剱のような華やかさは決してないが、あの瀑布の数、あの布石の立派さ、あの流水の美しさはどこの地域にその比すべきものがあるだろうか。黒部といえども落差百米を越える滝がここほど無数にあるだろうか。山のよさは決してその高さにあるのではなくて、深さ、内容にあることを知らなければならない。
 それではわれわれは、今後どのような方針をもって入谷すべきであろうか。
 それは現在も続けているパイオニア・ワークと地域調査を車の両輪として続けてゆけばよいではなかろうか。厳密にいって、この狭い日本ではわれわれのパイオニア・ワークを完全に満足させてくれる渓谷は皆無に等しいが、当会としてのパイオニア・ワークと地域調査という意味からすると、まだ洋々たる未来が横たわっていて、決して日本の国土の狭きを嘆ずるに及ばないことである。むしろこういった方法は終わったのではなくて、まだまだこれからが、どんどん採用されていくべきものである。
われわれは、その一翼を担っていると自負して、今後こういった踏まれることの少ない地域の開拓に精通してゆこうではないか。
 


9月の集会(2013年)

 昨日(9月4日)、都島区民センターで、集会が開催されました。今回の議題も11月に行われる50周年記念行事について、です。
 
 大阪わらじの会創立50周年記念パーティーは、11月23日(土)に、場所は生駒山麓公園・野外センターで行われることはすでに決まりましたが、今回は、会費の徴収や当日の段取りや食事や宿泊場所の確保など、さらに詳細が話し合われました。
 
 どれだけわらじのOBの方々に連絡取れるかはわかりませんが、招待状を送ったり、メールにて、広く声掛けしていくことになりますが、ここをご覧になって、是非、記念パーティに参加したいと思われたOBの方がおられましたら事務局にメールを頂けたら更に有り難いと思います。
 
 
 当日は、午後2時から二時間程度式典が行われ、その後、懇親会が行われます。式典では、50年に渡る大阪わらじの会の活動が振り返られます。また、最近の活動として、恐れ多くも私(シブ)が、自分たちの山行を報告をさせて頂くことになりました。具体的な内容はまだ考えていませんが、“大阪わらじと私”といったテーマで、自分たちの山行を振り返えながら、大先輩たちの足跡を辿っていこうと思っています。
 
 懇親会はバーベキュや鍋、アルコールなどを用意し、くだけた雰囲気で、OB、会友、現会員間の交流をはかります。ロッジや常設テントを予約してあるので、時間を気にせず、夜が更けるまで大阪わらじ、そして沢登りを巡る熱い思いを思う存分、話し合うことができます。
 
 
 10月の集会は、2日(水)、同じく都島の区民センターで、19時から行われます。
次集会は、いよいよ50周年記念行事が来月に迫ります。
 

黒部・恵振谷

 お盆は、黒部・恵振谷を溯行してきた。私たちにとって黒部の谷は2008年の柳又谷以来。
 
 再び黒部の谷に挑むにあたり、北又谷支流であるこの谷を選んだのは、わらじに入会して最初に訪れた黒部の谷が北又本谷であり、その時私が骨折事故を起こした場所でもあるということで、もう一度初心に戻って自分たちの足元を見つめ直したいという思いもあった。
 
 

 前夜、大阪を出発し、富山・泊駅最寄のパーキングエリアで仮眠を取る。5時に予約していた黒東タクシーに乗り込み越道峠へ。そこから明瞭な踏み跡を辿り、タラシバ谷への下降ポイントとなるコルまで歩く。以前は藪漕ぎした記憶があるが、9年前とは違い、踏み跡に従ってテープまで付けられていた。
 
 コルからはダケカンバを掴んで、沢筋目指して下降する。すぐに小沢にぶつかって下って行くと、右手から谷が合わさる。ガレでくると、北又谷は真近で、小滝をクライムダウンすると、本谷河原に降りつく。
 
 河原一杯に広がる、北又本谷のとうとうたる青い流れ。その流れの中に足を踏み入れると、ズンと重い黒部独特の水勢を感じる。思わず笑みが毀れるが、たちまち不安に顔が曇ったのは、その流れの先を見てだった。あの時より水量が多く感じるのは、気のせいだろうか?
  
 9年前は、普通の河原歩きで行けたはずだが、魚止め滝に到着するまでに、すでに左岸をへつり進まねばならなかった。 この調子で前進し続けることができるのだろうか?胸の内に不安がもくもくと広がってくる。その当時は洪水の影響で1m足らずまで土砂で埋もれてしまっていた魚止め滝だが、今見ると、5mくらいまで高さが復活していた。ごうごうと水を流れ落とす様は、北又の盟主らしき風格を取り戻していた。
 
 釜が深く広くなっていたので、滝の頭へのトラバースも随分手前から左岸の岩棚に取り付くことになった。ザイルを出して、コージのリードで滝の頭へトラバースするが、頭に立ち、その先を目にした途端に、不安が的中したことを知る。通常は頭から流芯を跳び越え右岸側へと渡渉せねばならないのだが、水流太くて、たとえ跳んでも、水流に滝下まで持っていかれそうな状況だった。
 
 呆然と立ち尽くす二人。
 
 
 
(続く)

弥山川溯行(双門ノ滝~狼平)

 お盆休みを前にした最後の連休ということで、宿題だった双門ノ滝登攀に取り組むことにした。
 
 弥山川ゴルジュには5年前(2008年7月)に、一ノ滝から双門ノ滝まで行っているが、この時は、双門ノ滝は登らず、右岸を巻いて登山道から下山している。弥山川ゴルジュの溯行を思い立ったその当時、双門ノ滝を登るという発想がそもそもなくて、ゴルジュを攻めれただけで満足だった。
 
 あれから5年の間、エスカーレートしていく険谷志向に不安を感じ、コージのヘルニア発症などで、フリークライミングに没頭する数年があったが、今年、こうして、再び沢の世界に戻ってきた時、双門ノ滝登攀が、宿題のまま残されていることに気付いた。
 
 ところで、双門ノ滝は大阪わらじの会では、朝山&加藤コンビが登攀を行っている。
双門ノ滝の上流部も、三鈷ノ滝や聖門ノ滝から始まるゴルジュがあり、それなり楽しめそうだ、ということで、双門ノ滝から狼平まで、今回、溯行してみることにした。
 
 

【日程】  2013年7月27日~28日
【場所】  大峰山脈 川迫川支流・弥山川
【地形図】  「弥山」
【報告者】  シブ
 
 
 2時に目覚ましを合わせた積りだったが、4時まで二人とも寝過ごしてしまう。まぁ、慌てても仕方がないということで、予定と二時間遅れの自宅出発となり、熊渡を7時に出発することになった。
 
 熊渡には、すでに数台車が停まっていて、私たちの前にも弥山川コースに入るパーティがあった。
 
 
 今回は、双門ノ滝からの溯行が目的なので、新設されたカナビキコースで狼平まで登り、そこから弥山川コースを下って行くことにした。
 
 カナビキコースは最初は杉林の中の急登が続くが、やがで明るいブナ林の尾根道となって気持ちが良かった。狼平からは弥山川コースを下る。弥山川コースは、数年前襲った紀伊半島の大水害で土砂崩れが起き、河原避難小屋がふっ飛んでしまっていたのには驚らかされた。話には聞いていたが、ここまで跡形もなく消失してしまうとは・・・。谷間は、左岸からの大崩壊でガレで完全に埋もれてしまっていた。そろそろ双門ノ滝の高巻き入りそうなところで、臭いルンゼを下って行くと、以前、そこでテントを張った覚えのある双門ノ滝の頭に出ることができた。
 
  頭には、以前なかったはずだが、アンカーが二点、打たれていた。一体、誰が何の目的で打ったのだろうか?右岸をルートファインディングすれば、滝の下に立つことができるのだが・・・。
 
 再び、双門ノ滝の頭に立って、下を見下ろしてみる。あの時は高度感に足が竦む思いがしたが、今は見下ろして、「結構、早く登ってしまえそうだ」と思う。出発は遅れたが、テントを張った後、双門ノ滝に向けて出発することにした。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 再び、登山に戻り、橋が架かるところからルンゼを下って行く。ルンゼは降りる程に傾斜が増したので、最後は樹林帯に逃げて、懸垂下降で谷間に降り着いた。降り着いたすぐ目の先にその名のごとく門扉のように両岸に数百メートルはあろうかと思われる側壁を備えた双門ノ滝が聳え立っていた。しかし、目の前で見る双門ノ滝は、登山道から遠望するのとは異なり、傾斜をあまり感じさせない。まず、1ピッチ目は私のリードで、中段テラスまで階段状となった岩場を登った。
 
 
 そして、いよいよここからが核心の始まりで、コージにリードを引き継ぐ。水流を渡って右手のチムニーを登ることもできたが、「行ってみる!」と、コージは水の流れるチムニー内に入って行った。
 
 チムニーに入るとビレイ地点からコージの姿を窺うことはできなくなってしまった。水の流れる音でコールは全く聞くことができず、ザイルの動きだけでコージの状態を知るしかない。しかし、ザイルはあまり停滞することになく、順調に伸びて行った。不意にザイルが一気に最後まで流れ、それでコージが頭まで辿り着いたことを知る。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 テラスから一段下降して、水流チムニーに突入する。チムニー内は薄暗く、真っ直に切れ落ちた岩間を水流が一条の白い光のように流れ落ちてるのが目に入った。両側の壁は垂直で、かすかにある窪みをスタンスにして、右側にあるバンドまでまさにチムニー登りで這上がっ
た。苦しい体勢でランナーを回収した後、右手のバンドから更にチムニーで上昇し、天の導きのように伸びる左側のバンドに、思い切って移った。
 
 ここを越えるとチムニーは傾斜を落としたので、ほっとするが、水流を潜って向こう側のクラックに取り付かねばならず、瀑水に吹き飛ばされそうになりながら全身スブ濡れになって、クラックに取り付いた。しかし、後で聞いたらコージは手前のカンテを登ったそうだ。クラックから流れ口へ登り移ると、コージの姿がようやく見えて、階段状となったところを後は登って行くだけだった。
 
 
 テン場に到着すると、さっそく薪集め。流木が豊富にあったので、すぐに集めることができたが、薪は濡れていて、なかなか火が熾らなかった。しかし、コージの1時間に渡る奮闘で無事に焚火を囲むことができた。あらかじめ沢の水で冷やしておいたビールで祝杯。カマンベールチーズに白老牛のローストビーフ。いつになく、この晩は贅沢をした。
 
 翌朝、テン場を出発すると、さっそく淵が現れ、ナメ状滝が掛かるが、ここは難なく通過。しかし、次に現れた淵は少し泳がねばならなかったが、滝の右手の岩棚に這い上がり、トユ状滝を越えた。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 淵を持った小滝をさらに越えると、前方に白い岩肌に優美な流れを落とす滝の姿が見えた。比較的大きく、20mほどあるだろうか?恐らく、これが三鈷ノ滝だろう。この滝は右手から簡単に登ることができた。
 
 三鈷ノ滝の上はナメが続いた後、河原となる。しかし、再び廊下となって、細長い淵が現れ、これをへつって越えると、廊下の先に左手から漏斗のように水流を落とす滝が見えた。20mほどはあるのだろうか?遠目に見ると、登れるタイプではなさそうだが、一応、滝の下まで見に行ってみることにした。
 
 滝の前には大きな淵があり、その淵を左岸の岩棚から回り込んで、滝の右手に出る。登るとすると、泳いで滝下の棚からチムニーに取り付くか、もしくは、右手の壁をトラバースし、滝に取り付くか、である。その先は、行ってみなければ分からないが、何とか登れそう・・・ということで、右岸から高巻き、一旦荷物をデポしてから、装備だけを身に着けて、再び滝の前に降りることにした。
 
 

 まず、私が頑張ってみるということで滝下の、のぺっとした棚まで泳いで行こうとするが、ギアが重くて沈んで思うように進まず、引き返してしまう。
 
 で、あっさりコージにリードを交代。しかし、コージも寒さのせいか、泳ぐには気が進まないようで、棚から滝右手の壁を登ることにした。私、全身スブ濡れになって頑張ったんだけどな。。
 
 右手の壁には、薄いながらバンドが滝に向かって続いている。しかし、外傾しているし、ホールドも乏しいので、それを上手く繋いで登れるかどうか、が問題だった。
 
 まず、外傾バンドに上がってそこから、跳び箱のような岩棚を目指してトラバースする。バンドは細く、ホールドも悪い上に乏しいので、スタンスとホールドの手順を組み立てながら進む。コージは、ハーケンを決めながら、じりじり進む。跳び箱台に上がると、そこから滝身を登って行くが、滝右手に走るクラックに取り付くまでまた悪いトラバースがある。そこを何とかクリアしクラックに取り付ければ後は、それを直上していけばいい。水流が漏斗のように流れ落ちるハングを水流際まで接近して越えると、そこが頭だった。
 
 20mの上は、かつて避難小屋のあったガレに埋もれた河原。河原を越えると、淵を持った小滝を幾つか現れ、そうこうしている内に二又に到着する。二又からは、ゴルジュとなって滝と淵が連続するが、高巻くことなく、どれも登ることができた。
 
 ナメの続く河原を歩いていくと、狼平に間もなく到着。後は、登山道を熊渡へと下って行くだけだった。