黒部・恵振谷

 お盆は、黒部・恵振谷を溯行してきた。私たちにとって黒部の谷は2008年の柳又谷以来。
 
 再び黒部の谷に挑むにあたり、北又谷支流であるこの谷を選んだのは、わらじに入会して最初に訪れた黒部の谷が北又本谷であり、その時私が骨折事故を起こした場所でもあるということで、もう一度初心に戻って自分たちの足元を見つめ直したいという思いもあった。
 
 

 前夜、大阪を出発し、富山・泊駅最寄のパーキングエリアで仮眠を取る。5時に予約していた黒東タクシーに乗り込み越道峠へ。そこから明瞭な踏み跡を辿り、タラシバ谷への下降ポイントとなるコルまで歩く。以前は藪漕ぎした記憶があるが、9年前とは違い、踏み跡に従ってテープまで付けられていた。
 
 コルからはダケカンバを掴んで、沢筋目指して下降する。すぐに小沢にぶつかって下って行くと、右手から谷が合わさる。ガレでくると、北又谷は真近で、小滝をクライムダウンすると、本谷河原に降りつく。
 
 河原一杯に広がる、北又本谷のとうとうたる青い流れ。その流れの中に足を踏み入れると、ズンと重い黒部独特の水勢を感じる。思わず笑みが毀れるが、たちまち不安に顔が曇ったのは、その流れの先を見てだった。あの時より水量が多く感じるのは、気のせいだろうか?
  
 9年前は、普通の河原歩きで行けたはずだが、魚止め滝に到着するまでに、すでに左岸をへつり進まねばならなかった。 この調子で前進し続けることができるのだろうか?胸の内に不安がもくもくと広がってくる。その当時は洪水の影響で1m足らずまで土砂で埋もれてしまっていた魚止め滝だが、今見ると、5mくらいまで高さが復活していた。ごうごうと水を流れ落とす様は、北又の盟主らしき風格を取り戻していた。
 
 釜が深く広くなっていたので、滝の頭へのトラバースも随分手前から左岸の岩棚に取り付くことになった。ザイルを出して、コージのリードで滝の頭へトラバースするが、頭に立ち、その先を目にした途端に、不安が的中したことを知る。通常は頭から流芯を跳び越え右岸側へと渡渉せねばならないのだが、水流太くて、たとえ跳んでも、水流に滝下まで持っていかれそうな状況だった。
 
 呆然と立ち尽くす二人。
 
 
 
(続く)

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3件のコメント

  1. >恵振谷出合まで右岸を髙巻いてます。

    左岸の間違いでした。

  2. 沢屋もどき

    続きはどちらに掲載されてますか。

    • 続きはどこにも書いてません。
      この時は、大釜淵えた先で、沢通しの溯行は厳しいと判断し、
      恵振谷出合まで右岸を髙巻いてます。
      下部ゴルジュ突破するつもりだったのですが、この水量では不可能で、
      熊ノ平から高巻いてます。
      「溯行」の新号は発行されれば、続きを書くかも?です。