大峰 白川又川・水晶谷下降~口剣又谷左又溯行


【日程】2010年7月18~19日、前夜発
【メンバー】シブ&コージ

海の日の連休、「谷中泊でどこか沢登りに行きたい!」と私が言うと、コージが「じゃあ、奥剣又谷に行こう!!」」と提案するので、行くことになった。まだ結婚していない頃、私が一人で南アルプスに縦走に行っていた時、コージは知人たちと奥剣又谷に行ったことがあった。コージが一度行っているという気安さがあったからでもあったが、しかし、このことが谷を外す一因となった。

土曜日、クライミング・ジムで汗を流した後、夕方、車で大峰方面に向かう。この日、花火大会があるようで、下市の街中を抜けるのに時間が掛かった。
行者還トンネルの西口登山口に到着してみると、さすがに三連休、車がすでに沢山停まっていた。久しぶりに缶ビールを開けて、コージとささやかな宴を催す。

翌朝外が白み出すと目が覚めて、5時にはコーヒーを沸かして、朝食を摂る。ガスが掛かっていて、身支度をしていると、雨が降り出したので、一旦、車の中に避難。ちょっと待っていると、小ぶりになったので、準備を続行して、6時頃、西口を出発する。

理源大師像のところまで大峰奥駆け道を辿り、そこから登山道を外れて、水晶谷目指して斜面を下る。樹林の生える小尾根を辿って下りていると、やがて水の流れる谷に着いた。その頃には、ガスも晴れて、谷間には明るい日差しが降注ぎ、白い岩肌が輝いていた。
「枝沢だろう」と思って下って行ったが、いつまで経っても本谷と出合わず、やがて滝の掛かるゴルジュになって、それを巻き下りていくと、出合に辿り着いた。どうらや枝沢でなく、直接、私たちは水晶谷本谷を降りていたようだ。

白川又川本流は薄暗い廊下帯になっていて、出合の先には20mほどの大滝を掛けている。ここは左岸の小尾根を、一旦、水晶谷まで戻って安易な場所から取り付いて巻くことにした。大滝を巻いて、しばらくすると二又で、右岸から滝の掛ける谷が入っていた。それを「ちょっと早いなぁ」とは思ったが、確認もせずに、口剣又谷だと私もコージも勝手に思い込んでしまう。

薄暗い廊下を抜けると、不意に谷は開けて、左岸からトユ状の滝を掛ける谷が入る。コージが以前行った時は、「滝行の滝」だと言って、みんなでこの滝に打たれたそうだ。しかし、この日の水量は多くて、とても滝に打たれる気になれないようだ。
実は、これが奥剣又谷本谷に掛かる滝なのだが、枝沢の滝だと思い込んで、そのまま谷通しに進むことになる。後から聞くと、コージにはこの滝を巻いた記憶がなかったそうだ。ここから私たちは口剣又谷を溯行していた訳だが、稜線を詰めるまでそのことにとうとう気付かなかったのだ。

ゴーロをしばらく登ったり、交わしたりしてこなして行くと、再び、谷が狭まって廊下状になる。小滝を数個越えると、比較的高さのある滝があって、コージはこれをフリーで登って行ったが、ザックが重かったので、私は上からザイルを出してもらうことにする。
その上は二又で、左から連滝を掛ける谷が入ってきた。直進する谷は、廊下で狭く水量も少なく感じたので、この滝を左岸から巻いて、左の谷に入ることにしたが、本当は口剣又谷の本谷は右側の谷、直進する廊下帯の方だった。1110m地点にある二又で、ちょうど奥剣又谷の同じ標高にも左岸から枝沢が入っていて、それだと思っていた。

出合の滝の上にも更にナメ状の連滝が続いていて、これらを巻いてしまうと、不意に壁が消えて河原状になった。時間も時間だったので、そこで泊まることにした。実際、これ以上上流に行ってたとしても快適なテン場はなかったのだけど。
ツェルトを張った後、薪を集めたが、どれも湿っていたので、なかなか火が付かなかった。早く食べて寝たかったので、早々に焚火を諦めて、ガスで晩飯を作ることにした。鴨ロースをカットし、炊いたお米を炒めて、にんにく、ピーマン入りのドライカレーを作った。どれも美味しく、満腹になってツェルトの中に入った。しかし、整地が上手く行っておらず、背中に小石が当たっていて、時々、目覚めされたが、それでもまぁ、よく眠れた。

翌朝は4時に起床。外には出ず、ツェルトの中で、コーヒーを沸かし、朝食のラーメンを食べていると、ツェルトの外はすっかり明るくなっていた。6時にはテン場を出発。しばらく河原が続いたが、やがで廊下帯に突入し、小滝が相次いで現れる。どでも難しいものでもなく、次から次へと登っていくと、谷間にはひどい岩屑が堆積するようになる。両側を見ると、廊下の壁はどれも崩壊気味で、いつ落石があっても不思議ではない状態だった。

ピサの斜塔のように倒れ掛かった岩塔が、両岸に屹立している光景は壮観だった。まるで失われた古い建造物を再発見するような興奮が二人を襲う。何時、滝や岩壁に行く手を阻まれるか分からない。しかし、左岸には尾根が稜線から伸びて来ていて、いざとなればそこに逃げたらいい、と思えたので悲壮感はなかった。
やがて二又に達し、ボロイ10mほどの滝がそこにはあって、今にも剥がれそうな岩片を騙し騙し掴みながらフリーで登って越え、左手の谷の方に入った。

それでこの谷の核心武は終わったようで、滝の上に出ると不意に両側の壁は消えて、トウヒの生えるなだらかな稜線が広がっていた。「さぁ、これからは最後の登り!」、そこで腰を下ろして一息ついてから最後の詰めに向かった。
標高的にはまだ300mほど上がらなければ、大峰主稜線に出ないはずなんだが、しかし、そこから数分の登りで山頂に辿り着いた。二人ともキツネにつままれたようだった。慌てて地形図を出して確かめてみると、「もしや・・」。しばらく稜線を辿ってみると、案の定、奥駈けの登山道に出て、この時、始めて自分たちが口剣又谷を詰めたことに気付いたのだった。

私たちが詰めたのは、大峰奥駆けの仙宿跡付近。昨日、テン場にした河原に入る直前の二又で、本谷から左又に入って、これを詰め上がったようだ。しかし、崩壊壁のうち続く源流部の光景は、なかなか圧巻で、こういうがなければ行くこともなかったので、却ってラッキーのように感じられた。

しかし、その代わりに長い尾根歩きが待っていて、久しぶりに歩いた私たちの太股は、それから数日、ひどい筋肉
痛に襲われたのは言うまでもない。

 

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