捜索報告書

 

捜索年月日  2010/08/17

捜索範囲

白川又川本流フジノトコより長淵上部まで下降

捜索メンバー(大阪わらじの会会員) 

氏名・住所 

馬場 貴・大阪市住吉区

上阪 徹三・大阪市天王寺区 

國頭 迪夫・東大阪市

和田 謙一(報告者)・兵庫県 伊丹市

(以下文中全て敬称略)

 

時刻・捜索過程

700 大黒構(おんぐろこ)谷と塩の谷合流点少し下手のBCから車で出発

735 白川又川林道より小黒河谷より1本上手の小支流下降開始

743 砂防堰堤着 

811 堰堤左側の古い仕事道(杣道)をたどりフジノトコ着

815 無線交信試みるも感度なし

826より本流を下降しながら捜索開始。

馬場、上阪 両名は淵や釜も水中眼鏡でチェック、和田、國頭は主に両岸をチェック。國頭飛び込んだとき水中の岩に足をぶつけ不調となる。(後日肉離れ、打ち身と判明)震えが止まらない國頭に和田の鮎タイツを穿かせる。

9301000 寒さに負けて陽の当たる狭い川原で休憩。各自カッパを着る。レーションを食べるが、ガスボンベ忘れたため熱いお茶飲めず。

休憩後ゴルジュを水中眼鏡でチェックしながらどんどん泳いで下降。小黒河谷手前の淵に沈んだ救のマークが付いたオレンジ色のキャップ発見回収。

1027小黒構(こぐろこ)谷出合着 このあたりは広い川原。事前に消防、警察の捜索もここまでは来たと言う情報だったがその足跡は確認できた。

馬場、上阪は12mの2段滝の大釜を泳いで捜索、國頭、和田は右岸(下流に向いて)から立木を支点に15m懸垂下降。

1103 下の8m滝を懸垂で下降しようと支点を探しているとき真新しいシュリンゲ付きの真新しいリングボルト発見。これは川崎のものに間違いないと確信する。川崎が懸垂下降したように、4名も同じ支点でそろそろと10m懸垂下降する。水流が斜めトユ状に落ち込む、右回りにグルグル回る釜の手前から、ザイルで確保した上阪が泳いで水底を覗きにいく。引っ張り込まれると3人がかりでも引き上げ不能なので無理せず帰ってもらう。下流は白川又川本流の全水流が幅3mほどに圧縮された溝のように流れている。上阪は水中を覗きながら泳ぎ下り、次の滝落口の数m手前で対岸にたどり着いた。手前側の速く強い流れに引き込まれそうになったと言う、事前にザイルでビレイして泳ぐべきであった。とりあえず特攻隊が対岸に渡ったので後続は対岸にザイルを固定しビレイしてもらって渡渉することにする。上阪が落口すぐ上のぬめったスタンスより慎重に1.5mほど登り支点作りの作業を始めた。

1135 待ち時間があるので和田が滝の落口すぐ横の足場を2mほど進み足元から釜を覗く。よくよく見ると釜は岩で塞がっていて、落ちた水流が岩に当たり激しく飛び散り真っ白に泡立っている。ここから落ちると岩に激突するしかない。泡で水中はほとんど見えない。10mほど流れた爆水が右の岩壁に突き当たり、直角に曲がって左に数m、再度左の岩で右に向きを変え、10mくらい流れた泡立つ荒瀬の中、黄色と白の物体が見えた。黄色いものはライフジャケット、白いものはヘルメットと確信するのに時間は要らなかった。遠目に黄色と白の間に人の顔らしきものも見えた。この瞬間全ての希望は消えた。合掌し他の3名に何を言ったか覚えていないが大声を上げ、両腕でバツの合図を送った。

1138 写真を撮り最後に渡渉する。ロープ末端をハーネスのカラビナに止めて水面下の岩をすり足でぎりぎりまで前に出て思い切り流心を飛び越える。対岸寄りは流れが弱く砂利底で足も立った。同じように跳んだ國頭は身長とライフジャケットの浮力で浮いて流れかかったが対岸からのロープで引き寄せられた。川崎は懸垂で降りて下流を確認し、渡渉できると判断してロープを抜いたのだろう。8/14は今日よりかなり水量が多かったはず。川崎が泳ぎか跳び渡りのどちらを選択したか不明だが、この渡渉で流された可能性が非常に高い。しかも落ちた滝壺が最悪の構造だった。対岸に渡り安定した台地に上がったところで無線交信を試みるが全く感度なし。川崎のいる直ぐ横の6畳ほどのゴロ川原に下降するには、10mほどの空中懸垂になるので馬場トップでザイルを張って小巻きする。そこからズリズリと下り、1.5mくらい岩場を飛び降りて、バンドをトラバースし凹角からゴロタ石の川原に至る。

1220目の前の流れに仰向けで両手を上げた彼がいる。おそらくハンマーが岩に引っ掛ってアンカーになり激流に留まっていたのだろう。全員で鳩首相談。流失しないよう引き上げておくと、この気温では痛みが激しい。警察が現場検証に来るかも知れないので、勝手に移動するのはまずいのでは。結局彼のハーネスにロープを止めて、直ぐ下の岩が積み重なった3mほどの滝から流れ落ちないよう固定する。この滝壷はかなり泡立ち渦巻いている。ハーケンは2本打った。激流の中で馬場、上阪が和田、國頭のビレイで、この作業を行った。

1251全員で再度合掌。彼の真上の小高いところの木に、先ほど回収したオレンジのキャップを目印に残す。無線が通じないので最も早く現地本部に連絡が付く方法を考慮する。昔和田は下流から長淵を泳いだことがある。そのとき残置ハーケンにアブミを掛けて登った凹角あたりから懸垂下降して、ザイルを残置して泳ぎ下る予定だった。そのあたりから下流は流れも緩く、次の日下流から楽に泳いで来る予定だった。100mほど流れ下ればよい。その下流には斜瀑があるという話もあったが、登るのは難しくても下りは何とかなるだろう。しかし体調不良者が「泳ぐ自信がない」と訴える。他の三名は流れに乗って泳げば楽に下れると思ったが、ザイルを残置すると彼を確保するロープが無くなる。無理をして二重遭難だけは

避けたい。既に死亡が確定している以上焦っても仕方がない。

1300 ここで22名にパーティを分けるのは危険と判断して、全員で上流へ引き返し小黒構(こぐろこ)谷から林道に登る選択をした。問題の渡渉は往きはよいが帰りは難度が格段に高くなるのでパス。一つ上の大釜まで小さく巻いて帰る。メンバーは疲労の色濃く、2mほどの壁を登るのにも少し手こずる。大釜の下手を簡単に渡渉。川崎もこのルートを選んでくれていたらと少し残念に思う。しかしこのルートは逃げのルートで、彼の好みではないとも思う。馬場、上阪
が泳ぎ下った大釜も、流れに逆らって泳ぐのは難しい。先ほど和田、國頭が懸垂下降した壁の左端のルンゼをザイルを出して和田が登る。これが大外れで、まともな中間支点が取れてほっとしたのもつかの間、二抱えもある浮石を動かしてしまう。下の3名に大声で「ビレイは要らないから逃げろ」と退避させてから落とす。上阪には同ルートを登ってもらい、もっとやさしいルートにザイルをセットし直す。全員登り切ったところで初めて無線が繋がる。

1420 遺体発見の一報を入れる。2時間以上ロスがあったのが残念です。無線でのやり取りは話がうまく通じない。一番元気な上阪に和田のデジカメを手渡し伝令に出す。馬場が重いザイルを持ってくれて次に登っていった。

1455 和田、國頭はのんびり登り始める。途中8m滝を右側の土壁から大きく巻いたところ、ザイルが無いため下降できず。延々大きく巻き続けることになった。最後鹿道をたどって堰堤の下に出る。

1650 堰堤左側の植林帯からやっと林道に這い上がった。2倍ほどかかった時間に比例して、差し入れの良く冷えたスポーツドリンクが最高に美味しかった。

1700 BCに帰着 警察、消防にデジカメの画像を見せながら発見現場の状況説明、ヘリによる搬出は難しいと説明した。理由は両岸高い崖で空は狭い。上空に木材搬出用の索道があることによる。警察にデジカメを預けデータをコピーしてもらう。(捜索風景、遺体発見現場状況など数十枚)

最終的に警察と消防と大阪わらじの会の搬出作業の分担が決まった。

正確には先に警察と消防で分担が決まって、消防と大阪わらじの会の共同作業で警察の受け持ち場所(大黒構出合)まで長淵を泳ぎ下り水上搬送。コブキ取水堰堤から担ぎ上げるという段取りです。

 

 

 

白川又川 大黒構谷ゴルジュ

報告者  長谷川真由美

 

捜索メンバー:岩崎慶訓、加藤文彦、長谷川耕司、長谷川真由美

 

捜索ベースのあった広場から林道を下流方面に向ってしばらく歩き、適当な所から斜面を下って、大黒構谷に入る。谷は平穏なようで、ナメが続き、大岩が沢床にところどころ転がっている。

ナメをクライムダウンしたり、大岩の合間をすり抜けたりしながら沢を下り、時々、「川崎さ~ん」と大声で叫んでみたり、淵の中を覗き込んでみたりして、川崎さんの行方の手がかりとなりそうなものを何とか見付け出そうと、各自手分けして探し回った。ゴルジュに入る前に、賞味期限の新しいペットボトルと、非常用のスポイトを見付けたが、川崎さんの足跡に繋がるものかどうか、確証の持てるものではなかった。

両側に嵓が目に付き始めて、「何か出て来そうだ」と思っていると、岩場の突端で不意に谷が切れ落ちて、激しい沢音が耳に鳴り響く。どうらや滝の頭のようだ。突端まで見に行ったメンバーに拠ると、結構大きな滝で、クライムダウンは無理なようなので、左岸のルンゼから高巻くことにした。ルンゼを少し登ったところでザイルを出し、ちょっとした岩場を攀じ登って、一旦、滝の頭へと伸びている小尾根に出た。

小尾根を跨いで、ナルそうな斜面をトラバースしているところで、一回目の交信時間がさっそく来たので、休憩を入れることにした。ザックからトランシーバを取り出し、教えられた手順で交信を試みるが、応答がない。

手順を間違ったのかもしれないので、耕司に見てもらいながらもう一度、電源を入れるところから始めてみるが、やはり本部からの応答がなかった。

 

仕方がないので、そこで行動食を取って、少し時間を置いてから、もう一度交信を試みると、果たして、本部からの応答があった。現在地を伝えると、「引き続き、捜索を続行してくれ」との事だった。

 

左岸をトラバースして行くと、ルンゼと出くわしたので、これを下っていくと、無事に谷中に降り着くことができた。降りてみると、そこはゴルジュの只中で、猿も居所がないような壮絶な側壁が、谷間に向って切れ落ちていた。左岸に張り出した岩棚に立って振り返ってみると、20mはあろうかと思われる、ゴルジュの盟主と思しき滝が、側壁を要して掛かっているのが見えた。     

 

上段は直滝で下段は斜滝気味となった二段の滝で、黒々とした淵の先に流れ落ちていた。回廊のような側壁の遥かな高みから、スポットライトのように日差しを受けて、その滝は、ゴルジュの中に荘厳に佇んでいた。

 

私たちの立っている岩棚の下には10mほどの滝が続いていて、大きな丸太の浮かぶ長い淵を従えていた。その長淵の先はチョックストーンになっているようで、大岩の頭の先で大きな段差となって切れ落ちていた。チョックストーンのまだ先にも深い淵が続いているようだが、谷は右に折れていて、その先を岩棚から臨むことはできなかった。

 

「チョックストーンのところまで取り敢えず見に行ってみよう」ということになったが、私は躊躇してしまい、岩棚の上で一人待っていることにした。三人は岩棚から左岸を懸垂下降で、滝の下へと降りて行った。長淵は始めへつっていたが、途中で飛び込んで流芯を避けるように右岸へと泳ぎ渡り、回り込んで最後はチョックスーン滝の頭に泳ぎ着いた。

 

そこで三人はしばらく滝の下を覗き込んでいたが、しばらくして、引き返して来た。「川崎さんがいるとしたら、このゴルジュの中かも?」と話していたが、川崎さんの姿は勿論のこと、荷物らしきものも、全くそこに見い出すことはできなかった。

「もしかしたら高巻き中に怪我をして身動きが取れなくなってしまっているかもしれない」ということで、今度は左岸を高巻きながら、ゴルジ

ュの入口まで捜索することになった。岩崎さんトップで左岸のバンドをトラバースし始める。最初、試みたバンドは途中で行き止まりになっていたようで、引き返し、一段高いバンドをトラバースする。そこで、二回目の交信時間が来たので、待ってもらい、トランシーバを取り出す。今度は一発で繋がり、現在地を伝えたら、「引き続き捜索お願いします」ということで、交信は終わった。

一段上がったバンドを、しばらくトラバースして行くと、下れそうなバンドがあったので、それを今度は、辿って行く。ふと気付くと、三回目の交信時間がもうきていた。同様の簡易なやり取りをして、あっけなく交信は終わった。それにしても、岩崎さんが果敢にルートを切り拓いていく、勇敢な姿が眩しかった。こういうことがなければ、こんな素晴らしいゴルジュに一緒に行く機会はもうなかったので、後から振りかえってみると、川崎さんの魂が、私たちをここに連れてきてくれたのかもしれない、と感じている。

バンドを立ち木伝いに下れるところまで下ると、最後は懸垂下降で、淵の浅瀬に降り着いた。ゴルジュの中は未だに高い側壁が両岸に聳えているが、出合までは、大した淵もなく小滝が数個あるだけだった。

本流に降り立つと、河原の白い石の反射が眩しく、思わず目を細めた。「ゴルジュは終わった・・」。そこで、ザックを下ろし、トランシーバを出して、最後の交信を行なった。

川崎さんの遺体発見の連絡を聞いたのは、その交信だった。沢の音が喧しく、ちゃんと聞き取れずに何度も、何度も、聞き返してしまった。事実をようやく呑み込み、メンバーに伝えると、私は、思わずその場に泣き崩れてしまった。しばらく、顔を覆ってすすり泣いていたように思う。メンバーも黙って、そこで座り込んでいた。

取水堰堤までは、本流の河原をただ歩いていくだけだった。陰惨なゴルジュとは打って変わり、本流はどこまでも明るく、白川又川特有の白い石と碧い川面、そして両岸の深い木々が、夏の終わりの日差しを受けて、いつまでもキラキラキラと輝いていた。

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