事故事例を共有いたします。
事故発生日時
2020年8月15日(木)am16:30頃
事故発生場所
山域 白山。岐阜県 尾上郷川カラス谷 標高 約1180~1190mの谷中。下記地形図の十字地点付近。
パーティー構成
KM2、名塩村民(CL,記)
概略
KM2がCSルンゼをリード中に支えにしていた草付きが抜け、二ヶ所あったハーケン支点の上側も抜け、転がり落ちてグランドフォール。ロープの出てた長さで15~20m。落ち始めの高さ15m弱。
事故現場写真
状況報告(km2)
- 標高1196m地点より上部に抜けないと、翌日の行程が厳しくなると2日目の出発時点から見込んでいた。
- 標高1196mの直前のゴルジュに到達したのが16時頃。流木でよくない渦ができている小滝を抜けた後であることもあり、さらに大変疲れていたので、あまり引き返したくない心境ではあった。
- ゴルジュの最後にある滝が登攀不能と分かった時点で、引き返す案と、右岸ルンゼを登攀する案を提案したが、後者は見た目も難しそうであまり乗り気ではなかった。
- 上記2案を提案したところ、ルンゼを登る案を採用され、「リードをお願いする。なんでも勉強や」というコメントを頂いたため、「自信ないなあ」とつぶやきながらルンゼにとりついた。
- 小さいCSを乗り越すまでの間も、ホールドにしていた岩が剥がれたりと、ボロイ登攀となったが、ハーケン1枚でクリアすることができた。
- 大きいCSは直登不能と見たため、小さいCSの上を踏んでルンゼ左側の斜面に乗り込むこととした。念のためハーケンを1枚打ち足したが、ボロイ岩質のため、あまり効いていないのはわかっていた。
- 左側の斜面は、下から見ると草がたくさんついて快適そうであったが、乗ってみると、岩盤に薄い土とまばらな草が生えている状態で、また、岩質は相変わらずボロく、何カ所かハーケンを打ち込んでも、岩が剥がれてしまう状況であった。
- ハーケンを打つのをあきらめ、草をつかんで何手か上がったが、明らかに足は効いておらず、草も頼りないものばかりであった。無理をしているのは自覚していたが、1mほど上にくぼみが見つかり、そこに乗り込めば安定する可能性が高かったため、薄い草を両手に持って体をずり上げた瞬間、両手とも草が抜け、滑落し始めた。
- しばらくはずるずると滑り落ちたが、急に傾斜が急になってからは一気に落ち、体が後ろ向きに何度も回転するのを感じた。
- 最後に下の岩盤にたたきつけられた瞬間、気を失ったようだったが、すぐに意識が戻った。
- 全身が痛く、また、下山の難しい場所で滑落してしまっていることが分かっていたため、おおいに動揺した。立ち上がって全身をチェックしたところ、左ひざがぐらぐらで、かつ、白い脂肪が見えるほどに深い裂傷を負っていることが分かったためさらに大変ショックを受けた。
- (この辺りは記憶が怪しい)名塩村民に白湯を飲ましてもらって落ち着いてから、タイツを脱いで、オロナインを塗り込み、三角巾で縛り上げた。このあたりの処置は名塩村民にやっていただいた。瞬間接着剤で傷を閉じるといい、ということをおっしゃっていたが、理屈はわかるが、そんなものでくっつく大きさを超えた傷になっていたので内心やめてほしかった。持ち合わせがバファリンしかなかったので、バファリンで痛み止めをした。
- 処置が終わってからは上下雨具を着たが、とにかく寒かった。名塩村民が色々と工夫をしてくれたおかげで直前の大きな滝まではたどり着いた。直前の大きな滝からは釜に飛び込む案を提案されたが、片足がきかない状態で10m以上ジャンプして飛び込むのは現実的でないので、断固断り、ロープ登高させてもらった。
- 心身ともに限界で、大きな滝の下の河原で行動停止することをお願いした。名塩村民はもっと下りたいようだったが、これ以上無理をしてさらに怪我をするのは嫌だったので、強く主張し、その場で泊まることとなった。
- 河原で翌日の方針を話し合ったが、気持ちの落ち込みが激しく、足の痛みも酷かったので、とてもではないが自力下山できる気がしなかった。そこで、河原があるところまでは、何とか自力で移動し、あとはヘリを待つ、という案で合意した。
- 3日目は、相変わらず朝から左足が痛かったため、やっぱりヘリ下山か、と思って出発したが、ゆっくりでも着実に下山を進められることが分かったため、名塩村民に、自力下山したい旨を伝えると、快諾してくださり、嬉しかった。
- 左足がほぼ曲がらないので、非常に苦労したが、名塩村民のサポートを受けて無事尾上郷川まで下ることができた。途中、何カ所か釜に飛び込む提案をされたが、自分の感覚で無理と感じたところは断固断り、ロープ登高をさせていただいた。
- 23時頃に自宅近くの救急病院に送り込んでいただき、レントゲン、消毒、縫合(4針ほど)で午前5時頃まで要した。
- 翌日、自宅付近の医院の診断を受けたところ、左足裂傷、骨挫傷、左手中指骨のひび、とのことであった。
km2所感・備忘
- 疲れて判断力も鈍っていることを自覚していたのに、自分でも無理と思うような登攀を始めてしまったことが今回の主な原因であった。また、ボルトを使うことが選択肢に入っていなかったが、命を守るためにもボルトは選択肢に入れる必要がある。
- 他のメンバーが何と言おうと、登れるかどうかは自分の感覚によって判断しないといけないと思った。
- 落ちた直後は動転しているので、落ち着かせる工夫をすることは大事。お湯は有効だった。
- 人にもよるが、怪我をすると酷く落ち込む場合があるので、痛みや不安に寄り添う声掛けも大事。
- あわせて、全身のチェックをして、気づいていない怪我がないか確かめることも大事。今回は膝の裂傷に少し後で気付いた。
- 傷を化膿させない塗り薬や、大きめのバンドエイド類を貼り、さらにテーピングで固定することになる。特に化膿止めの塗り薬は精神的に安心するので持っていくこと。なお、後日主治医に聞いたところ、山中での応急処置よりも、感染予防のための早い措置が重要とのこと。受傷後6時間を超えると感染のリスクが高まるとのこと。これを踏まえて、(なかなか決心はつかないが)ヘリも選択肢に入れたほうが良い。
- 落ち着くと痛みが出てくるので、痛み止めを持っていくこと。バファリンも効くが、ロキソニンがもっと効く。薬剤師が居ないともらえないのであらかじめ用意すること。
- ココヘリの発信器は衝撃で壊れる(今回壊れた)ので、ザックの内側に入れること。
- 雨蓋は首から後頭部を守ってくれるので、何かものを入れておくこと。
- 自力下山できた場合は怪我の重さにもよるが、怪我人の居住地の近くの病院の方が、通院が楽。
- 休日夜間かつ外科を受けている病院に電話をかけると、だいたい紹介してくれるので、とりあえず電話してみること。
- 休日夜間の診療は長時間を要する場合があるので、付き添いは不要。今回であれば、23時頃受付で、翌日5時までかかった。
状況報告(名塩村民)
- この遡行2日目は地形図記載の標高1196m地点より上流側に抜けて泊したい、と話していた。
- 時折 狭い川原があるものの、両壁高いゴルジュが何時間も続いていて、突っ張り、泳ぎ、草付きの巻きと懸垂、などなどで、水量多めの割には比較的順調にこなしていってた。
- もう少しで1196m地点というところで、足が着かず流れのきつい幅広淵の奥の高さ1mが越えられず、その奥からおそらく10mクラスの滝と思われる滝飛沫が見えていた。
- km2から「引き返しますか?」と言われ、「右岸側のCSルンゼが登れるかもよ。」とトライしてみることに。相談してkm2がリードすることに。
- 最初のCSの下側でハーケン支点をとり、その上に登り、そこからかなり試行錯誤していたが、結局、ルンゼ向かって左側の草付きを登ることにし、少し左にトラバった後、草付きを持って登っていった。下から見て、草付きが段になってるようなところは1段越えて、「あ、これやったら安定したところまで登れるかも」と思っていた。
- 突然、断末魔の叫びが聞こえた。見上げると、km2が後転(後ろ回り)でルンゼを転がってきた。上側のハーケンは全く効いてなかったようで、登り始めた地点まで測ってはいないが1秒くらいで落ちてきた印象。そして停止。動かない。死んだと思った。10秒もしない内に自分で動き出して座位になった。「あぁぁやってもぉたぁ」みたいなことを大きな声で早口でまくし立てている。パニクってるように見えたので、落ち着いてもらうために、お白湯をガスで沸かして飲んでもらった。少し落ち着いてきて痛みを感じ始めたようで、痛み止めのためにバファリンを服用。左膝の裂傷に気づき、三重くらい履いてるズボン類を苦労して脱いでオロナイン軟膏を塗り、絆創膏はって、テーピングでクロスに巻き、最後は三角巾で縛った。
- km2がガンダムの第1話みたく立ち上がり、歩ける、というので、少し下流の川原まで移動することにした。ゆっくり移動し、巻きあがって懸垂で降りた8m滝は名塩村民リードで巻きあがり、フィックスしてkm2はロープ登高。懸垂下降で降りると、それなりに流木もある川原があったが、すぐ横にルンゼがあったりして、あまり泊に適してはいない。が、薄暗くなり始めてたし、km2もこれ以上は動けないというので、覚悟を決めて、そこで泊準備をした。
- 流木類が湿気多くて、焚き火の着火に3回リトライした。シーチキンマヨのサラスパを食べ、ツェルトの中で普通に寝た。三角巾は捨て、「抗生物質&痛み止め」という軟膏を患部に塗り、絆創膏を貼った後テーピングテープで再度グルグル巻いた。
- 寝る前に、明日の方針を話し合った。左膝の半月板下の傷が2cmくらい深く抉れてて、横幅も5cmくらいある大きい裂傷で、出血が殆どなかったのは幸いだが、破傷風など感染するとややこしいので早く病院に行ったほうがいい。が、この状態では 今まで歩いてきた長い川原を かなり遅いスピードでしか移動できない。なので、二人で まずヘリがホバリングできる程度の広い川原まで下降し、その後、名塩村民が一人で下山して救助を呼びに行く、ということにした。
- 広い川原があるのは分かっていたが、それまでに苦労して遡行した個所が数か所あって、この状態で下降できるのか不安やったし、広い川原より下流も、かなり苦労して遡行してきた区間がいくつもあるので、そんなとこ一人で降りていけるのか、正直なところ自信はなかった。が、一つ一つ思い出して、行程を分解していくと、いくつかの滝は釜や淵に飛び込めば、あとはなんとかなるかなという気がしてきた。
- 寝る前に「明るくなったら移動開始するため4時だか4時半だか起床しよう」と言ってて、その時間に目は醒めていたが、「打ちどころ悪いせいで起きなかったら どうしよう?」なんて悶々してしまい、起こせなかったが、km2さんから動き出してくれたので嬉しかった。
- 3日目、やはり移動に苦労していたが、1時間ほど移動すると、思いの他、距離を下降できてたので、「自力下山できそうやん」ということで、方針変更。詳細は端折るが、明るい内にカラス谷出合まで下降できた。途中、流木杖で移動したりもしてた。ヘリがホバリングできそうな川原は2ヶ所ほどあり、そのたびに、km2に以後の行程の長さと行けそうかどうかを確認した。
- 第一ゴルジュのF1落ち口付近まで降りてこれた時には感無量やった。その後、F1の巻降りの時点ではバテて集中力が切れてた。
名塩村民所感
- 登りは引き際が大事だが、今回の状況では無理してしまう要因が揃っていた。時刻は16時半過ぎ。ゴルジュは両壁高い。水は冷たい。あと少しでテン場に着けそう。下流側の泊適地にピストンで戻るにしても まぁまぁ大変。などなど。名塩村民が無理をさせない方向に持っていくべきやのに、会話などで助長した面もある気がする。後知恵でしかないが、草付きヤバそうということでクライムダウンし、泊適地までピストン下降するのが私達のレベルでは正解だった。
- 自力下山できたのはヨカッタが、患部の治癒的にジっとしていたほうがベターやったのかどうかはよく分からない。
- ハーネスはレッグループがバックルによる脱着式になってるタイプのほうが、怪我時は外し易い。
- 応急処置について あるもので出来る範囲のことをするしかないが、少量が密閉パックされたアルコール消毒綿や浸水を防ぐためのラップも少量あったほうがいいと素人ながら思った。スポーツ用のテーピングテープは有効やった。
- 過去の、痛みに耐えながら長距離川原下降した思い出がリアルに蘇り、痛そうに歩くのを見ているのは辛かった。
- 帰途の車中でfinetrackの相川さんの遡行記録を見ると、同じルンゼを登って1196m地点に抜けてた。
- 今まで尾上郷川の支流は、カラスノ谷、モミクラ谷、サブ谷、ブナ小屋谷、カラスノウシロ谷を遡下降したが、カラス谷がダントツで凄いゴルジュやった。
- (2020.9.14追記)事故発生時、ビレイしてたけど、ビレイに集中できてたか、というと少なくとも油断していたと言える。上側のハーケンが全く効いてなかったため、集中してたとしても結果は同じだったとは思うが、それにしても、ビレイ時は「もし今落ちたらどうなるか」を常にトレースしていないといけないと改めて そう思った。
行動概略
- 8/14(金) (R156の林道ゲートから発電所までは軽トラにヒッチハイクした) 9:40チャリ漕ぎ始め→9:50コブ谷橋を過ぎたところでチャリデポして尾上郷川本流に降りる→10:03カラス谷出合(標高775m)→16:21標高895m泊地
- 8/15(土)6:54泊地発→16:30 標高1180m付近で事故発生→18:30標高約1170mりまで戻って泊
- 8/16(日)6:43泊地発→17:00カラス谷出合→17:20林道→チャリ移動→18:00林道ゲート(ドコモ圏内)→km2を途中まで車で迎えに行く→18:30頃 km2ピック→22:10km2邸→22:55 km2さん自宅近くの救急病院(解散)