南アルプス寸又川源流部2023.7.30-8.5

  南アルプスという言葉から想像するのとは違う感じの写真が数枚、里山のような尾根道、何の変哲もない河原。特別なものを見たり出会ったりするために山に行くのではないと思う。

5年に一度のリフレッシュ休暇を利用、思い切って4泊の行程を組んだ。深南部と呼ばれる場所、ただ行ってみたいと思った。それと釣り。素人でも釣れる(?)ほどイワナやアマゴがうようよらしい。食料になるくらい釣ってみたかった。

これはコンパスのルート図、下山届は出ていないままです・・

水窪(みさくぼ)ダムから車で、石ころだらけの林道を進み入山口へ。尖った石ころでパンクしないかひやひや

途中にあった、何これ?

衝立は、ちょっと横によけて、、

これは、奈良代山方面への登山口。今回は行かない(エスケープルートでここに戻る可能性はあった)

深ーい谷沿いの林道を歩き

 

わかり難い支尾根の登り口、ここから深南部へ(釣り師のルート)

めっちゃ、きつい登りが続き(上に行くほどせり上がり、10数kmの荷物で足元もずるずる)、ひいひい言いながら、休み休み登って行った(ラスト↓を除いて)今回最大の難所。

上の尾根は打って変わって、公園みたいに広い(天空の城・・・)

ここで一息、コーヒータイム

以降、しばらくこんな感じで遠足気分↓

 

 

その先、六呂場峠に降りる東側の支尾根は結構狭く切り立って、荷の重さもあり怖かった。が無事六呂場峠に到達

ここを東に降りれば、いよいよ深南部、明河内へ

その沢に難所はなく、降りるにつれて安堵感、体が軽くなっていく感じで楽しかった

明河内出会いに素晴らしいテン場

沢向の巨大な砂礫の壁が結構異様、ようやく山深い場所に来た感

焚火して夕食、ただのレトルトカレー、でも焚火でご飯炊いたのは初めて

残ったご飯で明日の弁当おにぎり(これが後で重要になる)

 

二日目、明河内を下降。結構滑りそうで怖いへつりが何か所か、重荷でもあり慎重に。

 

難所から広い河原に出る。見えたこの山は?合地山?

逆河内出合にはなんと橋!! 使われてない林道で今は外からは入ってこれないが。

ここから先の蓬(よもぎ)沢出合まで、魚がうようよのネット情報を信じて毛ばりを投げる・・・

が、全くダメでした、AM9時くらいから結構何回も投げたが、全く。そもそも魚影が見えない。釣れない上に木や根っこに引っ掛かりまくって何やってんだろう、これには結構というかものすごく、心が折れた。

W仙人と行く時は釣らせてもらってるのだ。技術だけではない、気持ちの余裕もなかった(山行を完結させようとするので精一杯)

釣はあきらめ、橋の上、林道にちょっと上がって見てみた↓

降りて泊の準備

二泊目のテン場(前方は逆河内)。釣れなかったショックで気もそぞろのまま、(薪もあまりないのに)焚火が一回消えてしまったり、ぎりぎりご飯が炊け、一安心。たらこコーンチャーハンはシェルパ斎藤さんの本から。簡単で美味い、焚火では初めて、めちゃ美味い。残りご飯で再びおにぎり(これなかったらと思うと、今思えばぞっとする)

釣れなかったショックのまま、晩はなかなか寝つけず、朝方うつらうつら考え、この精神状態で先のゴルジュ(中の尾根山方面)に進むのは危険と判断、エスケープルートの蓬(よもぎ)澤を選択

蓬澤入口(逆河内-蓬澤出合)朝6時半出発、気を取り直して(なんか大声で言ったかもしれない)

 

出発後(おそらく)2時間ほどで、それは起こった。

派手な滑落とかではない。ただへつりで乗り込んだ壁が(苔むしていたのに)等身大の浮き岩で、もろとも2m程下の淵に落ちた。

危機の瞬間は異様に落ち着いていて集中するものか、この岩の下敷きだけは避けろと、岩をそっと突き放すように落下。頭まで水につかってから必死で泳ぎ、岸に這い上がった。

が、左足に力が入らない、見るとぶらんと変な方を向いてる。終わった、とは思わなかったが、やっちまった、とは思った。着地で(多分)水底に嵌り、足をひねったらしい。

何か失敗をしたというより、(検証は必要だがその時は)ある確率で起こりうる事が実際起こってしまった感じ(というかそういうこと)。

少なくとも数日、ここで救助を待つことになると一瞬で理解した次の瞬間、視界がぼやけている・・まさか頭?・・追い打ちをかけるような絶望感・・いや眼鏡がない・・あった首の後ろに・・そういえば眼鏡に紐付けて来てた(今回初めて!)、良かった!

左は膝のみ使って(スパッツ付けてきて良かった!、これも今回初使用)岸にはいずりあがると、何と丁度良い寝床スペース!今でも不思議、しかも脇にはちょろちょろと分岐した流れがあり、寝た状態で少しずれ動くだけで飲料水確保と、排泄が出来た。これはとても大きいことでした。

折れた左足は木の枝とテーピングで固定。後から分かったのだが折れたのは二か所、脛骨(内側)の関節部(くるぶし)と腓骨(外側)、くるぶしは皮膚から外に出ていたのだが(所謂解放骨折)、当時は(怖くてよう見なかったので)分からなかった。

痛くなかったはずはないが、意外と激痛に苦しんだ記憶はない。ロキソニンは飲み尽くしたが、それが効いたわけでもないと思う。無意味な痛みは自己防衛的に消えるのか?

それから丸四日、そこで過ごした事になる。ただ、その4日という長さの記憶はあまりない。ただただ出来ることやりながら生きていたという感じ。有り余る時間を使って、一つ一つの動きを熟考して丁寧にやる、それを楽しむ、みたいな。他にやりようもないし、焦りもなく、ただ生きるといことを継続した。

食料は前の晩に作ったおにぎり三個、ラーメン、行動食兼おやつのパン数個、ドライフルーツ、あめ数個。火はもとより使えず、ラーメンはバキバキ折ってスープをまぶす(まずい!)。それらを頭の中で1週間分くらいに分割して順番に食べた。コメも1号ほど残っていたので水に浸しておいたが、全くかたいままでこれは食えなかった(それを食うまでには幸い至らなかった)

目の前の具体的なことだけ考えることで、先のことを考えない自己防衛みたいなこともあるのかもしれない。

ココヘリ。これがあるから大丈夫、という意識はあった。必ず来てくれる、場所さえ伝われば、わらじのみんながきっと来てくれる、確信していたと思う。確信するしかないといった方がよいかも知れない。

ヒトココ(子機)が水や故障で壊れたら・・ぞっとする想像もした瞬間はあったが、(多分)生存本能が脳を楽観的にする、ネガティブな可能性を自然に排除するのかもしれない。

夕方、毎日のように雷雨が来た。でかい音の山の雷自体も嫌だが、雨量が多いと水かさが一気に上がってくる。寝床にも最大5cm浸水!荷物をまとめて(絶対に濡らしてはいけない、寝具とシュラフを防水パックに、あとはザックに端から放り込み)、数m上がる。折れた足をかばいながら、膝を使ってゆっくりと、雷の音がしだしたら作業、これを毎夕繰り返した(実際に水が「床上」まで上がって来たのは最初の日だけだったが)

夜は流石に寂しく辛かったと思う(眠ったのか?、覚えていない)。「もう終わりにする」という考えは数回起こった。が、それは出来ないとすぐわかり、その考え自体を脳はまた排除する。

怪我の翌8/2が下山予定日、最終下山20時過ぎに地上の人たちが動き出すはず、やっと。翌8/3、ひたすらヘリを待つ(来てくれえーーーーい!)

木々が風に鳴る音はヘリの音に似ている、違うのだが、その中に本物の音が混じりはしないか、ずっと耳を澄ませている。

夕方、まだまだ明るい時間、遡行してきた逆河内方向の遠い上空にヘリが見えた!遠い、、幻覚かもしれない・・幻覚は今まで普通によく見ている(藪尾根で道に迷った時、木枝の隙間が沢が見えたり、家などの人工物に見えたり)

思いっきり白い自転車用ヘルメットを振った。が方向転換して行ってしまった。ヘルメットが見えて、救助隊を呼びに戻ったと思った(思いたかった)が、私を見つけたなら何故その事を拡声器とかで言わない?

翌8/4、ついに来た、すぐ上空に浜松と書いたヘリが!(おそらくAM遅め)(多分)この時、沢にせり出した灌木の先にぶら下げたヒトココのランプが激しく明滅した、間違いなく反応している!(これも幻覚?)

思い切り沢側に上半身をせり出して、木の陰から出てヘリに見えるよう、でも沢に落ちたらそれはそれで終わり。ここもぎりぎりだった。

はたして・・ヘリはまた行ってしまった。気が付いてないのか??気が付いたのなら何か言ってくれ!(拡声器でできない?)

(多分)昼頃、今度は別の、アーミー色の四角い感じのヘリが頭上の木のすぐ上まで来てホバリング、こっちはまた沢にせり出してメットを振り回す。気が付かない??こっちからははっきり見えるのに。また行ってしまう、、そしてまた夜

翌8/5、骨折4日目になる。今日は何も来ない・・AM中ヘリが来ない。もしかして、おしまい?

恐怖感と諦めが混じったような、、このままゆっくりと自然に還って行くのはどうなんだろう、意外と苦しく無かったり?そんなわけないか・・助けに来てくださる方から、回収に来てくださる方に想像が変わる

たのむわ、ちくしょうー、みたいな事を何回かわめいたような気もする

12時頃(後の記録より)、「あっ、〇〇さーん」という、街で会ったみたいなシブさんの声、

そして次々と、信じられないくらい沢山のわらじの皆さん、普段ご一緒したことのないクライマーの皆さん、何年もまえに1,2度ご一緒しただけの皆さん、申し訳ないです、絶好の沢日和、ここぞという計画をうっちゃって私ごときを助けに来てくださった。また涙があふれて来たこれ書いていて、、

ヘリがワイヤーを降ろせないほど木が生い茂っているようで、こちらが沢を移動する必要があると、シブさん

ロキソニン飲んで、肩貸すから何とか片足で歩けない?と・・ 沢の両岸は切り立っていて、普通に遡行するのも慎重を要するところ、肩を貸してくれる方もろとも、ということも起きかねない、無理に決まっている

今思うとこれもぞっとする。台風が来ていて、ヘリもその一回のラ

ストチャンスだったのだ

結局、静岡消防のヘリ(カワセミ)から元の場所にワイヤーが降りて来た。わらじの皆さんが焚火であげたのろしが決定的に機能した

本当に有難いこと、わらじの皆さん、カワセミの隊員の方、みなさん生存生還を信じて、来てくださいました、言葉で感謝できるレベルを超えています。

静岡の病院まではあっという間だったと思う。屋上へリポートに着陸、

隊員さんたちに何度もお礼を言った。

担架ですぐに手術室へ・・ 足は何とかなるのか・・命が助かったばかりなのに、何という贅沢、欲張り、歩けるようになるのか、絶対歩けるようになりたい、もうそういうモードになっていた。

最終的に、入院1.5か月、手術5回、地元に戻り、現在リハビリ7か月めで、登山再開できました(5/3御在所山、裏登山道~中登山道下山)、タイムも通常、左足問題なし、これも奇跡だと思っています。

執刀医の先生(30代?お若い方でした)、整形と形成両方出来る、ゴッドハンドと言って良い方、皮膚が腐って失われた部分の皮弁も見事にして下さいました。都度的確な説明と励まし、技術と仁徳兼ね備えた名医に出会ったと思います。

治る保証はなく、不安にもなった私のメンタル含め支えて下さった看護師さんたち、リハビリの先生方も、皆さん本当に親身に対応してくださいました。

偶然そこにあった沢の寝床、助かった眼鏡、3回目ラストチャンスのココヘリが反応、ぎりぎりの天気、ラストチャンスの救助ヘリ、奇跡も重なりました。

でも一番の奇跡は、心熱き人たちが集まる、このわらじの会に所属できたことではないか、そう今改めて思っております。

おわり

 

 

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2件のコメント

  1. cozyさん
    そんな風に言って頂けて、有難い限りです、思い切って書いて良かったです。
    リハビリのラストスパートも楽しめそうです、有難うございます。
    ご一緒できる日楽しみにしてます!

  2. 中澤さん、本当にお疲れ様でした。
    普通は経験できないこんなサバイバルなことを残して下さって有り難うございます。
    記録拝見していて、私もまた胸が熱くなり、涙が滲んでしまいました。
    脚の体力、元に戻り本当に良かったですね。
    また、沢にご一緒しましょう!